成長期 : 一つのキーテクノロジーから広がる世界

キーテクノロジーとなった「赤外線通信」は、その応用範囲を拡大していく。さまざまな分野の企業から「こういうことに活用できないか」というオファーやリクエストが相次いだ。その一つが、大型ゲームシステムへの応用である。当時、都市型テーマパーク構想を推し進めていたナムコからのものだった。
「自社のゲームを実際の空間で再現したいという企画を、ナムコさんが練っていました。たとえば鉄砲を撃つアクション、カートの制御などに赤外線通信を利用できないだろうか。そこでゲームシステムへの応用技術の開発に挑戦していきました」(本間)
1990年2月、大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」の大型アミューズメント施設にゲームシステムを納入。現実感あふれるエキサイティングなシミュレーション空間を演出していった。

さらに1992年3月には、ナムコが世田谷区の旧二子玉川園跡地に開業した「ナムコ・ワンダーエッグ」に、最新鋭のゲームシステムを導入。ドリフトキング、フューチャーコロシアム、ミラーナの心理迷宮、ドルアーガの塔など、独自の光通信技術を応用し、マシンと人間のコミュニケーションを可能にした高度なゲームシステムを実現していった。

ナムコ・ワンダーエッグ

一方、パソコンとプリンタ間のデータ通信、パソコンのLAN接続など、赤外線無線モデムの需要も高かった。これを受けて「空間光通信用IC」を自社開発し、1991年3月から販売を開始した。1993年5月発売のニューモデルは、この分野で初めてPM方式(位相変調)を導入し、当時、光学系外付けでは世界最速通信を達成している。この「空間光通信用IC」は、国内はもちろん、アメリカをはじめ世界各国に販売され、さまざまな製品に組み込まれていった。
「一つのイノベーションで、いろいろな波及効果が生まれます。それを最初に実感したのが、この赤外線通信でした」(本間)
1991年5月、シスムズへと社名を変更。ソフトウェアだけではなく、必要であればハードウェアでも、チップでもつくってしまう。これから「ユビキタス社会」でイノベーションを展開していく、オネストの原点の姿がここにある。

ゲームシステムへ応用、IC化

1990.2 大阪「国際花と緑の博覧会」にゲームシステム納入
1991.3 空間光通信用IC開発(10K)
1991.5 シスムズに社名変更
1992.2 「ナムコワンダーエッグ」にゲームシステム納入
1993.4 空間光通信用IC開発(100K)光学系外付け世界最速を達成
成長期