草創期 : 日本発の独創的なイノベーションを

オネスト代表取締役の本間大二郎が1982年3月、シスム・プロダクツを設立し、今日のオネストの歴史が幕を開ける。アメリカでは1974年に世界初のパソコンが発売され、当時、コンピュータ業界は若者主役の技術革新に湧いていた。「同じようなイノベーションを日本でも起こそう」というベンチャー精神が、会社設立のモチベーションだった。企業ポリシーとして「自社主導」を掲げ、まずCPM(8ビットパソコン向け世界標準OS)搭載の日本発パソコンのbios開発に参加しながら、虎視眈々、新たなイノベーションのチャンスを狙っていた。

ある日のこと、空港のレストランで食事をしていると、ウエイトレスが注文を伝票に書いている光景が目に留まった。その時、本間の頭に「What」が閃いた。「小さな端末を持って、その場でオーダーを入力し、無線で厨房に送れるようにしたら便利じゃないか」。たとえ空港のように電波制限があっても使える、何か別の通信方法があるはずだ。そこで目をつけたのが「赤外線」だった。

「実際、調べてみると、赤外線はボーレートが大きく、電波よりも多くの情報を伝送できることがわかりました。しかも、どこも大手企業が手を出していない分野。これはいけると確信し、製品化にチャレンジしていったのです」(本間)

1988年2月、世界初の『赤外線オーダーリングシステム』をドイツのハノーバーメッセに出展、来会者の反響を呼んだ。赤外線通信の基礎研究から、ハードウェアとソフトウェアの設計・開発まで、すべてが自社完結による成果だった。

「とくに開発の依頼があったわけではありません。こういう製品をつくれば、きっと市場が拓けるはずだ。そんな自信と期待でのスタートでした」(本間)
そして翌3月、『INOS(イノス)』の商品名で販売を開始。本間が空港で「What」に気づき、赤外線通信をテーマにゼロからイノベーションを始めて2年後のことだった。

赤外線通信に着目

1982.3 オネスト社長・本間大二郎
シスム・プロダクツ設立
1988.2 独ハノーバーメッセに赤外線オーダリングシステム出展
1988.3 『INOS(イノス』の商品名で同システムの販売開始
草創期

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